八戸市は青森県の南東部、太平洋側に位置します。
そして深浦町(ふかうらまち)は青森県の西部、日本海側です。
県の形から見れば、八戸市の180度反対側です。
なかなか「日帰りでちょっとドライブ」する距離ではありません。
子供の頃に読んだ「日本の秘境」という本で、日本各地の秘境の中の一つとして深浦町は紹介されていました。
今となってはずいぶん失敬な本だと思いますが、その本の中では、鉄道が通る前の孤立していた集落と、鉄道が通ってからは、職を求めて町から出て行く人が増えて、町の発展がなかなか進まなかった当時の状況と、著者が日本一と書いた夕陽の美しさが紹介されていました。
それ以来、記憶の中の小さな小さな小さな片隅ではあるものの、深浦町への興味は残っておりました。
いつかは深浦町へ。
そこで2022年4月、青森県の旅行支援「県民割り」を利用して、1泊2日で行ってきました。
初日は鰺ヶ沢(あじがさわ)温泉を起点として周辺の縄文遺構を見学し、2日目に深浦町と白神山地の中にある有名な『青池』を見るルートと決めて、予習した上で訪ねました。
深浦町は夕陽の町だ。が

深浦町は夕陽の美しい場所として有名です。
しかし、深浦町の夕陽を楽しむと言うことは、その日も一泊しなければなりません。
そんな余裕がないので、夕陽は初日宿泊した鰺ヶ沢町で楽しむことにしました。
雲のため、水平線に沈む様子は見られなかったものの、鰺ヶ沢町も夕陽がきれいでした。
つまり、全国の日本海沿いの市町村の夕陽は、大抵どこでも美しいのだろうと思う。
ただ、深浦町の興味深いところは夕陽だけではないのです。
隆起した海岸! そして海岸段丘
鰺ヶ沢町から深浦町に向かうと『千畳敷(せんじょうじき)海岸』という海岸があります。
江戸時代(1793年)の西津軽地震により海岸が隆起してできたそうです。


僕は、普通の海底は砂地と理解しておりました。
しかしここは、岩地になっています。
約2500万年前に、日本海を形成する過程で起きた火山活動で堆積した緑色の凝灰岩(グリーンタフ)だそうです。
これが、浅瀬であったとしても1回の地震で隆起するなんて、”どんだけの地震が起きたのか!”と怖くなります。
きっと、津波もあったことでしょう。
町を貫く国道101号線や並走するJR五能線は、海岸段丘を利用したそうです。
何度かの地震や浸食により形成された地形だそうです。
さらに『青池』を目指します。
国道は、海岸段丘の影響もあり、狭くなったり広くなったり、起伏もカーブも結構あります。
大間越(おおまごし)街道と言うのだそうです。
車で走っていても結構な負荷を感じるこの道路ですが、藩政時代は、秋田から弘前へ向かう主要な道路だったそうです
”昔は大変だったろうな”なんて感じました。
普通に歩いても大変な道のり。 特に、冬。
日本海から吹きすさんでくる風と雪。
想像するだに恐ろしい道です。
海だけではなく山にも異変が!
そして十二湖方面へと、山の中に入っていきます。
青池に到着する途中に、『日本キャニオン』という景勝地がありました。
樹木に覆われている山肌の一部がはがれ、凝灰岩(シラス)の岩肌があらわになっている山並みです。
昭和初期の学説では、低位置氷河の浸食と考えられ、その後、不明ながらも川などで浸食されたと考えられていたそうですが、現在では、大地震と大雨による山崩れでできた、と考えられているそうです。
近くには、『崩山(くずれやま)』という山があり、1704年の大地震により山が崩れ、その堆積物の影響で十二湖(本当は三十三湖あるらしい)ができた、と考えられていて、それを思うと日本キャニオンも地震によってできた山肌ではないのかな、と僕も思います。
この辺りは、およそ2500万年前に日本海の海底から噴出した火砕流を起源にした凝灰岩が山を形成していると考えられていて、『崩山』では、いまだに小規模な山崩れが起きているのだそうです。
樹木たちは、何百年何千年かけて凝灰岩の山肌に根を張ってきたのに、ひとたび大きい地震や大雨があって、悲しいかな、斜面を崩れ落ちてしまったのでしょう。
大昔から、地震や海底の隆起や海面の上昇や下降や、なんやかやの天変地異を江戸時代まで繰り返しながら、海岸段丘や千畳敷海岸ができて、山は一部崩れて美しい湖沼群を作り上げて、深浦町の土台ができたらしいのです!
深浦や周辺地域の人々はそんな環境で、しかも風雪に耐えながら住み続けてきたと思われました。
この地域のご先祖様たちの我慢強さは度を超しています。
青池は、雨だったし濁っていた


青池に着いた頃には雨が降っていました。
池は思っていたほど青色ではなく、思っていたほど大きくもありませんでした。
好みで言えば、隣の鶏頭場(けとば)の池の方が大きいし幻想的で好きです。
そして北金ヶ沢の大銀杏
鰺ヶ沢方面への帰り道、国道を少しずれたところに『日本一の大銀杏』と呼ばれる北金ヶ沢(きたかねがさわ)の大銀杏がありました。

全国各地に「日本一」を冠する巨木がありますが、ここの大銀杏は見事です。
僕が訪れたときは春になったばかり、葉が付き始めた頃で、ただの巨木だなぁと思いました。
だけどこれが秋の見頃には、地面から木のてっぺんまでが黄金色で満たされるのだろうなぁと想像した途端に、圧倒されました。
「えっ!?」 という感じ。
いつか秋の落葉シーズンに、必ず訪れたいと思いました。
とにかく海産物がおいしい!
道の駅ふかうら「かそせイカ焼き村」という名の道の駅に立ち寄りました。
旅行前の予習で、ここは焼きイカが旨い、と学んでいましたので迷わず買い求めました。
旨かった! ビールが飲みたい!
店内は、小さな魚菜市場みたいに通(ツウ)なものがそろっている。
通なものというのは、普通のスーパーでは売っていないような食材のことだ。
新鮮な海産物は、飲食店関係者も買いに来るのだろう。
そしてそれらの食材は、どれもこれもおいしそうでした。
数年前、津軽半島のてっぺん、龍飛崎(たっぴざき)で食べたイカ焼きもすこぶる美味でした。
何故、日本海側のイカは旨いのだろう。
そして、もう一つ。
深浦町には、海の駅ふかうら「深浦まるごと市場」という施設があります。
深浦漁港のど真ん中に位置しています。
ロケーションが素晴らしいです。
深浦町には道の駅と海の駅と両方あります!
そして深浦町はマグロの町でもあります。
季節に応じて、深浦沖の日本海から大間沖の津軽海峡、そして太平洋へとクロマグロは移動します。
春頃、深浦町に水揚げされるクロマグロが「深浦マグロ」です。
ちなみに龍飛漁港に水揚げされると「龍飛マグロ」です。
秋~冬にかけて大間沖まで移動するようです。
だからマグロの魚種は深浦も大間も同じということになります。
そんなクロマグロが「青森マグロ」と呼ばれます。
そんなこんなで、深浦は面白い所だと思いました。
2022年、大雨で被災
2022年の夏は、この地域に大雨の災害がありました。
冠水被害と土砂災害です。
とある集落では道路が崩れて、大きく迂回しないと幹線道路の国道101号線に出られず、生活に支障がでました。
その国道ですら、地滑りや土砂で寸断されたり陥没したりしました。(国道は12月現在は復旧しています)
その他、町道なども崩れてしまい、孤立集落が何カ所かで発生しました。
JR五能線も、土砂が流れ込むなどの被害で寸断されてしまいました。
中村川という川にかかる橋脚は傾いてしまい、12月に入りようやく仮復旧しましたが、徐行運転になっているそうで、本復旧は春まで待たなければなりません。
毎年、全国的に異常気象による被害が発生しています。
大きな都市では優先的に復旧作業が行われ、圧倒的な人員と機械力が働きます。
地方の、点在しているような集落では、1本の砂利の道路でさえ大事なライフライン。
迂回路のない道路の冠水や陥没は、早期に復旧させないと命取りになりかねません。
そもそも砂利道だからこそ、大雨被害を受けやすく、逆に復旧もしやすいはずなのに、毎年のように「被害が出ました。復旧が遅れています。メドがたっていません。」などとニュースになるのは何故でしょう。
道幅が狭い、路盤が弱い、曲がりくねった道が多い、などの理由で重機が入れないのは理解できます。
しかし復旧は、元に戻すのではなく強度アップが必要です。
まずは土地を盤石なものにし、道幅を広げましょう。
土地の強度を上げるにあたって、土台の凝灰岩がどう影響するのか判らないけど。
地域の経済力にもよるのでしょうが、予算が少ない町村にこそ国や県は補助の力を注ぐべきだと思います。
町の規模からして現状復帰がやっとであることでしょうが、再びこのような自然の災禍が起きても生活に支障が出ない環境作りをして欲しいと思います。
『秘境』のままで良いのか
この地域の住人は、どのような町を望んでいるのだろう。
海岸段丘を利用して、「日本のアマルフィ」的な町づくりはできないものだろうか。
漁港もあるし、夕陽も美しい。
世界自然遺産の白神山地にも近いし、千畳敷海岸のような景勝地もあるし、TVで何度も放映された黄金崎不老ふ死温泉もあるし。
海産物はやたらに美味しいし。
こうして特色をたどると、発展の可能性ばかりに思えます。
(ただし北国だから、気候は温暖ではない)
先ずは災害に強い町であって欲しいと思います。
そして人を呼ぼう。
できる事なら周辺市町村も巻き込んで、一大西津軽経済圏を作り上げて、アクセスにも便利で人口も増えて、太陽が沈まない地域になって欲しいと思います。
なんて。
県の反対側から、しかも初めて訪れた僕だが、不思議と応援したくなった町でした。
